名前も知らないお姉さんに「営業」を教えてもらった話

携帯ショップで販促のバイト。タブレットとフォトパネルを売っていた。

タブレットとフォトパネルの営業をやっていたとき、ぜーんぜん売れなかった。時給は高かったけど、1つも売れなくて、ただの給料泥棒だった。
店長やスタッフさんは丁重に扱ってくれたけれど、彼らの期待に応えられないから、ひたすら気分が重くなっていった。
アルバイト全体の平均契約数は、日に2-3件だと聞いた。対して僕の契約数は、毎回ゼロ。来る日も来る日も契約がとれなくて、バイトが終わったあとの報告メールではいつも「申し訳ありません」と謝ってばかりいた。
やっと1つ売れたとき、それはそれは思いがけない売れ方をした。

10秒で、1個売れた

カウンターで手続き中の、とあるお姉さんに話しかけたのだった。

ひたすらメリットを並び立てる僕に、お姉さんはたった一言「いいですよ」といった。
一瞬、聞き取れなかった。状況が飲み込めず困惑する僕に、お姉さんは「買ってから使い方考えますよ」とだけ言って、ささっと契約を終えて帰っていった。
10秒で、フォトパネルが売れた。

訳の分からない売れ方をした。

買ってから使い方を考えるなんて、そんな買い物があるのだろうか。
確かにぼくは「月々〇〇〇円で…」と説明した。だけど、リスクも何も考えなかっただろうか。一言、「要りません」と断れば良かったじゃないか。
ペイフォアワード(映画)を見て慈善の連鎖に加わろうとしたとか、僕の口臭がくさすぎて1秒たりとも話したくなかったとか、色々原因を考えた。
本当に、訳の分からない売れ方をしたとおもった。でもとにかく1個、売れたのだった。それはあまりに唐突で、思いかげない結果だった。

顔も名前も分からないお姉さんから、「営業」を教えてもらった。

もちろん営業の全体を学べたわけではないけれど、ぼくは今までの自分より成長した気になっていた。ものを売るということは、僕にとっては目的だけど、買い手にとっては手段なのだと気付いたからだ。
 
お姉さんがその日、どんな想いでフォトパネルを買ってくれたのかは、今となっては分からない。
けれど、きっとお姉さんは「見るからにアルバイトで、手続き中の私にさえ声をかけてくるほど切羽詰まっていて、営業が100人中最下位レベルでド下手で可哀そう」なあの日のぼくに、手を差し伸べてくれたのだとおもう。
 
人が10人いれば10通りの生き方や考え方がある、ということを僕は学んだ。
その人生の文脈や物語の中で「ぼく」が登場する。ぼくは、思い通りに貢献できないかもしれないし、活躍できないかもしれない。だけど、思いがけず、想像もできないところから、助け舟はあらわれた。

僕がやっていたのは、押し売りだった

一本も契約を取れない僕は、意気消沈していた。
あんなに知識を覚えたのに。あんなに提案プロセスを追ったのに。
あんなに営業の本で勉強したのに。あんなにできると思っていたのに。
そんな焦りと、購買動機の押し売りのせいだった。
だから僕は、一本も契約がとれなかったんだ、と気付いた。

スーパーマンはいない。けど、確かにお姉さんは僕のスーパー(ウー)マンだった

世界はなんでもできるスーパーマンだけで成り立つわけじゃなく、たくさんの「ぼく」や「わたし」でできている。もちろん僕もそうだ。
凡人は、すべて思い通りになるわけじゃない。
でも思い通りの結果が出なくたってそれでよくて、前向きに行動してさえいれば、中には手を差し伸べてくれる変人だっている。
つまり僕が言いたいのは、他人任せにするってことではなくて、自分の想定する範囲外にも成長の種は転がっているんだ、ってこと。

次はぼくの番(おまけ)

こんな小さい出来事を、いまだに僕は覚えている。
ここまでで、話は終わりだ。
 
最後におまけで、僕の話を。
ちいさいことだけれど僕は、出会った人にちょっとした笑いを提供できるように心がけている。コンビニの店員さんやカフェの店員さんには、生きたやり取りができるように心がけている。こんなのただの自己満足だけれど、毎日ブルーな気持ちの店員さんが、1cmでも「接客って面白いかも」と思えるきっかけになったらいいと思って。
 
追伸:
最後まで読んでくれてありがとう。
そんな暇なあなたにはぜひ「ペイフォワード」という映画をお勧めする。
アメリカで社会現象にもなった「スタバのお客さんが後ろの人にドリンクをおごったら、その親切の連鎖が数十分も続いた」というのがペイフォワード。お姉さんから僕へ、僕からあなたへ、ってね。。