「痛いヤツ」の心理学
いちゃいちゃカップル。
あいつイタいよねー、みたいに思うことってありますよね。
あるいは言われたことあるかもしれません。
今日わたしは電車内で、イチャイチャカップルを発見しました。後ろから女の子が抱きついて、彼氏のお腹をさわさわしたり、胸をさわさわしたりしてました。僕が彼氏なら辛抱たまりません。しかも僕の座っている目の前でしたので、一言つけくわえるならば、僕もちょっと辛抱たまりませんでした。
とはいえ、ただ興奮してるばかりの僕でもありませんでした。
あまりに彼女がしつこいし、この行為をみていてやっぱりどこか「ちがうなー」と思ったのです。
感じる違和感
ぼくはおもいました。
「ちがうなー」というこの感情を「嫉妬」と呼ぶほどには僕はモテなくありませんし(ということにしておく)、
「公共の場の風俗を乱す気か!」と内山田教頭よろしく叫ぶほど、僕は風紀を重視しておりません。ルールの押し付けはそもそも好きじゃなくてですね、はい。
じゃあ何?なんで胸の奥がソワッとするの?と電車に座りながら考えてました。
イタいのは見る側の心
そういうカップルを見たときに起こる感情はですな、
- 「わかるわー、それ昔俺もやったわー」
- 「なんか共感するしちょっと羨ましいんだが、それほんと恥ずかしいからやめといたほうがえぇ」
と、共感しつつも”昔の自分を見ているよう”で穴に入りたくなるわけです。
だからですね、結局のところ「イタい」っていうのは、カップルのことを言ってるんじゃない。実際のところ痛んでいるのは発言者本人の心なのでした。
できるなら、この視点を提供してあげたい。いちゃこらぶっこいてる彼女だって、10年後には同じことはやらないでしょう。今だからするのです。社会の大きさや社会の弾力を感じてみたいからするのです。そして、「あぁ、昔の私と同じことやってるカップルがいる。恥ずかしい」って思う日がきっとやってくるはずなのです。たぶん。
僕らにだって、イタいと思われることはある
上にも書きましたが、彼女もいずれ気づくでしょう。
- 他の人に見せびらかしたって、自分の気持ちは何も満たされないこと
- 永遠とは一瞬に凝縮されるものであること
- 自分の自信と向き合う日が訪れること
じゃあ、止めた方がいいのか?「公的秩序を乱すな!」と110番したらいいのか?いいえ、決してそうではありません。
思う存分電車内で痴漢やってみろ、と言いたいわけです。誰にとってもそうですが「知っている」と「理解している」は違うのです。
すげーまずいよ、と言われたくさりかけのリンゴも、食べてみなければそのまずさは分からないわけです。それと一緒で、経験や視点ってのは一回体験してみないと分からないわけです。
将来の自分のために。行きたいところには行こう。したいことはしよう。
本当にやりたいこと、本当にしたいこと、本当になりたい自分ってのは、こうやって見つけていくものだと思います。
時には人に「それイタいなー」って思われることでも、やらないよりやった方がいいのです。たまたま、その行為が常識的に責められえるものであった、というだけです。だから周りの”オトナ”はやっきになっていうわけです。
「やっても無理だから、やめときな」「迷惑だから、やめときな」「怒られるから、やめときな」ってね。
人の心に深く傷を負わせることはやるべきではありません。ですが、笑って済ませられる程度の事であればどんどんやっていくべきだと思います。
ホントになんでもやる人って、多分「チャレンジ」とか「挑戦」とか、こんなことすら考えず、やります。深いこと考えず、やります。人の体さわさわしてます。笑
例えがわるいかもしれないけど、人の目は気にするなってこと。
さよーなら。