TOEIC前の英語の素地

大学の授業で、宿題も分からなかった

大学3年間まるまる英語はノータッチ。英語をちゃんと勉強したのはいつだっけ。多分国立の2次試験が最後。それ以降は勉強した覚えがない。

3年間での大学生活で、鍵となったのは全てEnglishで行われる授業。そのときは「How do you think?」と振られても「I don't know, but I think...」の後に、ギリギリで調べた動詞や名詞を並べるのが精いっぱい。まあ中身なかったよね。

先生の英語の話もほぼ聞き取ることはできなかった。そのため、来週の宿題があるのかないのかさえ理解できず、友達に「宿題って来週あるの?」って尋ねてた。

周囲には英語が流暢に話せる人が半分以上。頭の中まで純ジャパの自分は、かなり浮いた存在だった。

英語への警戒心を解く鍵は"What is this?"

ほとんど身になるようなことをしていなかった3年間だけど、英語に対する警戒心だけは薄れた。その発端が「What is this?」を使ってみたこと。中学1年生の教科書の1ページ目に出てくるような言葉だ。

帰国子女が授業のディスカッションで盛り上がっているときに使っていた「” ”」のジェスチャー。僕は意味が分かんなかった。「『""』ってどういう意味?(What is this:""?)」と英語で訊いてみた。

すると彼女は「uh...yes, Its kinda...」と説明してくれたが、とっても親身になって教えてくれた。

それまで、すっげー恥ずかしいんだけど、帰国子女というのは近寄りがたい存在だった。だけど、なんだ、喋りかけたら意外と普通の人じゃん。こちらが喋りかけないから、近寄りがたく見えるんだ。

そんなことにふっと気付いた僕は、英語と帰国子女に対するイメージが急速に和らぐのを感じていた。

調子に乗った僕は、もう1つだけ質問をしてみた。「どうやったら英語って話せるようになりますか?」と。

帰国子女からのアドバイス「英語は並べるだけ」

帰国子女からのアドバイスはとてもシンプルだった。それは「並べればいいんだよ、英語なんて。日本語の方がずっと難しい」ということだった。

そして「間違った英語を使っている人間なんてたくさんいる。私も適当だし」とアドバイスしてくれた。

当時、英語を「話せるのと話せない壁」を非常に高く感じていた僕は、この答えをすぐには呑み込めなかったが、「あぁ、それくらいのものなんだ」と気楽に構えることができるようになった。

依然として先生の話は聞き取れなかったけど。

イギリスとドイツで知った生の英語

2012年2月に、イギリスとドイツに旅行に行った。そこではホテルで「Receiptいりますか?」と訊かれ、「え?何、何?れせぷと?何?」ってきょどってたレベルなんで、間違いなくゴミだったと思う。

けど、やっぱり生の英語に触れたのはいい経験だった。日本企業のロンドンオフィスで働いてる日本人へのインタビュー、ピザ売ってるインドネシア人とのぶっちゃけトーク、お洒落なおみやげを追い求めて入ったアロマショップ。フランクフルトの駅で出会ったコンサルタントのおっちゃん。ドイツのバスの運転手には「This is Germany, NOT America!(英語でしゃべってんじゃねーぞバーカ!!!)」と言われて異文化を感じ、電車に乗り間違っていった町では、地元の銀行のおばさんやコーヒーショップのお姉さんがとっても親切だった。「こういう人たちと仲良く話せるようになりたい!」と思った。ずっと「ダンケ」「ダンケ」とつぶやいていた。ダンケの発音だけはトップクラスになれた。

本当にどれもが刺激的だった。

そんなことで、素地としてはとても恵まれていたと思う。大学自体外国人みたいなの多いから、普通に本屋のペーパーバックコーナーで英語と日本語混ぜて会話してる。

それに加え、今回は大きなものが懸っていたので、「がんばるかがんばらないか」という選択肢はまるでなかった。「730をとるためにやる」という選択肢しかなかったのだ。「どうやってやるか」ということに脳みそのリソースを注いだ。これがよかったのだと思う。火事場の馬鹿力ってやつだった。

以上メモでした。