自信をつけるのは自分自身だ、という話

ポジティブな人、ネガティブな人

こちとら褒めてるのに、いくら褒めても、その好意を受け取ってくれない人がいます。その一方で、どんなことを言われても、ときに貶されたとしても、対して気にしていないようにみえる人がいます。

 

「おっ!?この人、どんだけ ネガティブ/ポジティブ なんだよ…」みたいな人。 どちらもたまに見かけますよね。

 

 

これってね、“人から見た自分”以上に、

自分から見た自分のイメージの方が強く影響することをあらわしていると思っています。

 

 

なぜ?

ポジティブ/ネガティブな反応が返ってくる彼らにとっては、例えば

・家族が自分のことを全然褒めてくれなくて、貶されて育ったのに、見ず知らずの他人が自分のことを褒めてくれるなんて、そんなことありえないぞー!って感じてたり

逆に

・貶されたってビクともしない人は、例えば他人の評価以上に自分なりの信念を持っていて、他人の評価より大事なものを持っている

とか、そんなところでしょう。

 

自分はいつでも、自分のことを見ている。これってあたりまえ。

ですが、あたりまえか?と考えてみると、意外とそう思ってる人は少ないのかも。

 

自分にとって一番影響力が大きいのは自分

自分と自分は、いつでも一緒にいます。当たり前だけど。いくら見たくない自分がいても、自分は自分をしっかりと監視している。 

たとえば、朝寝坊した自分。あちゃー、って思う。

はたまた、人が見ていないところで努力して、目標を達成した自分。よっしゃあ、って思う。

自分は、あたりまえだけど、その両方を見ていて、それでいて、「自分ってこういうものなんだ」っていう自分像を作っているのではないだろうか。

 

じぶんをごまかすことの怖さ

「誰もみていないからいいか」

「うわべだけつくろえていればいいか」

そんな自分も、自分にはバレバレ。

外見ってのは、外見が全てです。外見ってのは、大事。心理学からしても、大事。外見のよしわるしの結果というのは、人からの評価そのものなわけです。だけど、そこに解釈の入る余地があれば…、もしくは見る角度によって異なることがあれば…。例えば、「仕事ができる」とか「優しい人」とか「しっかりしている」とか、評価基準の曖昧なこと。こういうことについては、人からの評価は重要じゃなくなります。そうなったとき、頼りになるのは自分で、だからこそ、人から何か言われても、それをそのまま受け入れるわけにはいかないのです。

 

自分起源と周囲起源

自信には、自分起源の自信と周囲起源の自信がある。

周囲起源ってのは、たとえば周囲から「美人だね」と褒められたり、「頭いいね」と言われたり、「こういうところがいいよね」と褒められたり、「最低の人間だ」と言われたり、そういうことがあったときに上下する自信。

 

・「自分⇒自分」の自信(自分起源の自信) と、

・「周囲⇒自分」の自信(周囲起源の自信) 。

 

この2つはマズローの5大欲求のように、前者の方が大事なんだと思う。

 

私自身は、どちらかというと周囲の評価を気にしちゃう人で、悪いことだなと思いつつもそれを頼りにしてしまっているところがある。人生、人からの評価を得てナンボ、と思っている自分があったりしてね。

 

実感ベースで言えば、自分で自信が持てない点について人から賞賛されたところで拒否してしまう。「いやいや、本当の俺はこうなんだよ」と、人からの自信オファーを自分の中で却下してしまうことになる。

 

 だから、

・自分の行動に納得がいっていれば自信が積み重なっていく

・自分の行動に対して自虐的な人は、自分に自信が持てない

そう思う。

 

で、じゃあ自信をつけるためにどうしたらいいのか?というと、自分との約束を守ればいい。

ささいなことでもいい。「部屋をきれいにしよう」と思ったら部屋を片づける。「今日、あの人に謝ろう」と思ったら、謝る。小さなことを積み上げていくことが、大きな自信になる。

カンタンなようで難しいのだけど、意外とあたりまえのことこそが難しかったりする。どれだけトリッキーに人からの評価をかきあつめたところで、あたりまえのことすらできていない自分というのは、嫌気がさすものなのよね。