社会的成功イメージと私的成功イメージ
成功の定義
「成功」と言えば、
- 社会的に一定の地位に上り詰めること
- 失敗の対義語
とWikipediaにあります。
社会的に一定のステータスを得るとは、
有名企業に入って管理職になるとか、
年収1000万円以上あるとか、
就職→結婚→子供→安定な老後のステップを踏むとか、
そういうものなのかな。
失敗するとは、近所の奥さんに
「〇〇さんちのお子さん、大学出ても働かずにいるらしいわよ」とか
「大学受験失敗して高卒で働いているみたいよ」と言われてしまうとか、
そういうものでしょうか。
はっきり言えることは、少なくともこういった価値観は戦後の日本のものであるということ。高度経済成長以降はこの価値観が通じないということに、気付くべきです。
成功イメージの源泉
貧しさの共通認識があった時代には、いわゆる「成功」というものは意味を成したかもしれません。つまり、貧しくないことが即ち成功なわけです。
貧しくないとはつまり、
- エアコンのある、快適な生活
- カラーテレビのある、ブルジョワジーな生活
- 食べるものに困らない、裕福な生活
こうして、身の回りのモノが揃っていることが、生活の豊かさに直結していました。そして、こうした生活を保証される、つまり大学を卒業して有名企業に入るということが、人生の“成功”の約束でありました。
では、今はどうでしょう。
- 生活は飛躍的に便利になりました。月5000円で持てるiPhoneがあれば、固定電話もタウンページもゲームも不要です。
- 生活は飛躍的に豊かになりました。一食300円あればハンバーガー、牛丼があなたのお腹を満たしてくれます。
つまり、3.5万円+住居費さえあれば、ひとまず生きていける。そんな時代になったのです。何につけても、ハイクオリティのモノが廉価で手に入るようになりました。今後もこの傾向は続いていくでしょう。
余談ですが、特に教育のコンテンツでは、ここ10年で良質なコンテンツがいつでもどこでも廉価で手に入るようになると予想しています。そうなれば、最低限度の教育は、やる気のあるものには保証され、さらに個々人が戦いやすくなります。まさに、1人1人に銃が手渡されるようなもの。その上でどういった戦いをするかが重要になってくるはずだと思っています。
では、成功とは?
だから成功とは、モノで規定される時代にはなくなってきているのです。何かが“ある”から豊かである、成功者である、そんな時代にはなくなってきている。これが現実。今までは憧れて、憧れて、やっとの思いで手に入れてきたものが、簡単に手に入るようになった現実。もはやモノではその人の凄さを測ることはできなくなりました。金メダルが、ほとんど全員に配られるようになったようなものです。
その上で、例えば人間関係であるとか、家庭の状況であるとか、やっている仕事の価値であるとか、そういうもので人の豊かさが測られる時代になったのではないでしょうか。
だから、あの人はすごい、あの人はダメだと判断する基準は
- それぞれが養った価値観
- 価値観を裏打ちする経験
- そもそもの素質
- 社会的に残した結果
ではないでしょうか。ステータスは確かに近似的に人の凄さを表すかもしれませんが、ことビジネスの世界においてはこれで判断して差し障りないでしょう。
そう、その人が何を持っているかではなく、どんな人であるかをより重視するようになったと考えられます。
ただ、ここで問題なのは
「それって、判断する人によって違わない?」
ということなのです。
定点観測の時代から、相対性のある時代へ
ここまで、成功することについての定義づけを試みてきました。しかしどうやら、成功かどうか、というものは、見る人によって違うようなのです。どうやら、定義づけすること自体が難しいようです。あれあれ?
ここに、特殊相対性理論という理論があります。「時間の流れる速さは、観測する人によって違う」という例のアレですが、もともと定点観測なんて幻で、微々たる誤差を無視した上での便宜的な計測です。そう考えたら、なんかよりあるべき世界に近づいた気がしますよね。
白か黒かの判断は、人それぞれ違う。それが当たり前のことなのです。共通認識としてのセーフティーネットがある。それこそが幻なのです。
だから、我々の選択は
現代の若者ほど、世代間格差のあるジェネレーションもそうそういないのかもしれません。お金の問題だけではなく、思考的な問題として。
この20年ほど、急速にビジネスの前提となる考え方が激変しています。まさに、種子島へ鉄砲が伝来したときと同様、戦術の切り替えが要求されている。今まで通りのやり方で、より早い馬を所持して、より武術を鍛えても、それだけでは勝てなくなった。むしろ、昔のやり方で「やぁやぁ、我こそはー!」と名乗り出た瞬間、鉄砲でバキュン。そんなこともあるかもしれない。大企業のおじさんについて行くのは、それだけ危険なことなのです。
激変の時代であれば、「価値観にはまっていく」というよりは「価値観をつくっていく」ことの方が、理にかなったやり方です。
表題の「社会的成功イメージ」は既に死に、「私的成功イメージ」の優先順位が上がってきています。そして私的成功イメージとは、いわゆる成功とは違います。自分がどうありたいか、そのイメージそのものなのです。モノで測らず、自分がどうありたいか。それを一瞬一瞬で体現していくこと。これが大事なんじゃないかな。
- 個人の幸福をモノで測る時代ではない
- 金太郎飴のような成功は消滅したので、成功者かどうかなんて誰にも分からない
- 自分の理想イメージが自分を生かしてくれる
ぷらすあるふぁ
です。