うまくいかない?そんなときのための処方箋

一休さんの遺書「困ったときに開けよ」に書いてあった一言

“案ずるな。何とかなる”

自分はダメ人間だ、死にたい…そんなふうに悩んでいるあなたにとって、これは大前提です。

根が真面目なのです。真面目なのはいいことなのですが、生きている以上、ダメなことはあります。いいこともわるいことも、自分が生きた軌跡です。困ったときも死にはしない、くらいの気持ちをもって、ゆったりいきましょう。

具体的に箇条書きにします。

行動と言動に責任を持とう。ピリッとした緊張感が、自分を高めてくれる。
行動や言動は、あなた自身を表すものです。過去の行動は自分のしたことです。そして、未来の行動は自分次第なのです。ここがポイントです。

完璧主義は卒業。
「完璧」なんてありません。しょせん、自分の作り上げた幻なのです。
自分の予想のつかない結果はしばしば起こるものだし、その予想外こそ、自分を成長させてくれるものではないでしょうか。完璧という見えない壁に翻弄されるのは、もう終わりにします。

自分による、自分のための評価軸を持つ。
他人の意見を決めるのは、過去の自分です。他人の評価はお金と同じく、あれば便利ですが、それは自分を幸せにはしてくれないものです。
そしてどんなときも、今の自分は今の自分が決める。この原則は決して揺るぎません。

自分を絶対的に信頼してくれる人を大切に。
世の中には自分からみて、3パターンの人がいます。
絶対的に自分を信頼してくれる人、全て拒絶してくる人、そしてどちらにもつく人です。
どんなことがあっても信頼してくれる他者の存在は、自分にとってかけがえのない大切なもの。必ず一定数いるはずですから、彼ら彼女らの存在に感謝します。
そして、どうしてもウマの合わない人もいますが、それは誰のせいでもなく、自然の摂理です。

自分だけの約束ノートを作ろう。
自分に対する信頼感を、左脳で高めていく作業です。どんな小さなことでも、自分とした約束を書き留め、守った約束も、守れなかった約束もチェックします
守った約束は、自分への信頼を高めてくれることでしょう。

「したくないけどすべきこと」に向き合おう。
物事を3方向のベクトルーすべきか、したいか、できるかーの3つの観点から眺めます。
すると、自分の行動原理と結果を整理することができます。
「したくないけどすべきこと」は淡々と行うのがポイントです。これが、したくないけれどすべきことへの向き合い方です。自分を自分たらしめてくれるのは「したいこと」です。ここに意識を使いましょう。

To doリストは、繰り越さない。
守れなかった約束は、本当に自分にとって大切なもので守るべきだったのかどうか、もう一度振り返りましょう。
意外と、どうでもいい約束ごとに縛られているものです。
そしてそれが守るべき約束であれば、再度新たにTo Doリストに加えます。

想像力は、ワクワクするものにつかう。
面倒くさい、嫌な気持ちになることをシミュレートしても、したくない気持ちが増すだけ。しなくてはならないことには素早くとっかかり、想像力はワクワクすることに使います。

今にフォーカスする。
未来の自分に希望は持っても、期待はしないようにします。未来の自分は、スーパーマンではないし、全てを解決してくれるわけではありません。
何よりもまず、今の自分が大切なのです。今を大切に生きることです。
過去も同様です。過去は変えられません。過去とは一般に事実として認識されるものだからです。この前提が変わるのはまだまだ先のことです。
仏教の教えでは、過去も未来もありません。時間というのは、物事を分かりやすくするために人間が作り出した概念です。これは余談ですが、実は過去も未来も、今ここにしか存在していないとしたらどうでしょう。

部屋を片付けて、シンプルに生きよう。
具体的な方法論です。長年来ていない服、随分聞いていないCD、いつ読むかわからない本は捨てましょう。そして、心地のいい居場所をつくりましょう。
どうでもいいものに使っていたお金や時間・空間を、本当に自分の心地よいもので満たします。

直感を育てる。
もし部屋が散らかっていて、片付けられないほどなら、旅に出てみましょう。
時間が取れなければ落ち着けるカフェやバーに行ってもいいし、ホテルに一泊だけしてもいい。一流の芸術に触れてもいい。
自分の意識が汚い部屋に居ついてしまっているなら、お金をつかって心地いい空間を先に体感するのです。
日常を離れて、本当に自分がワクワクするものを探すこと。過去の最適化は、自分を幸せにはしてくれません。だからこそ、感性を高めることが、自分の人生を高めてくれるのです。

人と比較したときに得る幸福感は、泡のように消えると覚えておく。
幸せには2種類あります。比較した上での幸せと、そこにあるものに感謝することで生まれる幸せです。
比較して自分の方が優れている、と感じて生まれた幸せは、他にさらに優れているものとの比較で簡単に消え去ります。
本当の幸せは、実はすでに持っています。あなたが今、気づいていないだけで。

おわりに
毒矢の例え、という逸話があります。
「あの世はあるのでしょうか?」という問いに、釈迦が答えたものです。
「毒矢に射られたとき、どうするだろうか。毒の成分を分析するか?矢が射られた方向を分析するか?そんなことしていたら死んでしまうよね。それよりも先にすることは何か。そう、毒矢を引き抜くことだ」と。
人生は毒矢に射られた自分のようなものです。死後の世界はあるかもしれないし、ないかもしれない。それでいいし、どっちでもいいじゃない。
人生は短いのだから「今」を生きなさい。毒矢を分析するよりも先にやることがある。そういうふうに私は捉えています。

うまくいかない、だめだと感じている人は、おおよそ今の自分が心の中では心地よいと感じているように思います。
「そんなことない!」という声もありそうですが、そうでなければダメ人間でいる理由はありません。

何が人から与えられた思想で、何が自分なのか。そういうことを追求していくことが、「生きてきてよかった」と呟いて死ぬ人の生き方だと考えています。