会社選びの現場からー「宗教っぽい」会社の功罪

「宗教っぽいよね、この会社」

これまで1年間、就職活動という特殊な環境を通じて様々な会社を見てきましたが、中には宗教っぽいなぁ、と感じる会社もあります。学生同士の会話でも「宗教っぽい」は頻出ワードです。

それにしても「宗教っぽい」って、一体なんなのでしょう?

宗教っぽいということは、わるいことなんでしょうか、いいことなのでしょうか?

「宗教くさい」と感じる、そのこころは?

会社に限らず、何かを宗教くさいという時、その言葉は往々にして外部の人が使用しています。そしてその根底には「騙されることに対する危機感」があるように思えるのです。

例を挙げると、新興宗教はある理論体系の中で、労働力やお金などの資本を提供させたりします。中にいる人にとっては、ある種の価値観に共感し、それに対する対価を払っているにすぎません。しかし、外にいる“洗脳されていない人”から見れば「価値を感じないものに対価を払うということが信じられない。洗脳や、宗教や!」ということになります。

ブラック企業の場合も、同じです。外野からすれば本来払われるべき給料・休暇。そういった待遇が、ある価値観の下で無視される。そしてその価値観とは、外から見れば異様な価値観であるのです。

どちらの場合も、“洗脳されている”人にとって見れば“100円の価値のあるものを100円で手に入れている”に過ぎません。しかし、「反対側」つまり外野から見てみると、どうも100円の価値があるようには思えない。むしろ、お金を払ってもらって然るべきだと感じる。それなのに、中の人は価値を感じている。

ワタミの経営なんかはまさにその好例です。他にも、付き合っているカップル、タバコなどにも内部と外部の価値観の相違が見られます。外野から見れば「なぜそんな人と付き合っているの」とか「なぜタバコなんか吸うの」と思えるのです。価値観は人それぞれだという事です。

往々にして「抜け出しにくい」環境へ落とされる、ってこともありますけどもね。

宗教っぽさと真の宗教との違い

仏教やキリスト教が「宗教」であって「宗教くさく」ない理由は、それ自体が利益を追い求めるものではなく、精神的向上を目的にしているからですね。

しかし、この宗教的価値観を、資本主義的な組織(企業)に導入した時、ある人は違和感を感じるわけです。

本来であれば利益を追い求めないはずの宗教性が、立場的に上の者に利益を生むという構図。がっちりとその世界にはまっている人は違和感を覚えないけれども、外側から眺めると違和感を感じる。この矛盾から、「搾取されている、洗脳されている」という感覚が生まれる。これが「宗教っぽさ」の根源ではないかと思います。

宗教的思想と資本主義は相いれない

宗教は、人間が幸せに生きるための価値基準から成り立っています。一方で資本主義は、人間の生活が豊かになる・発展するための価値基準から成り立っています。

この2つの要素は、必ずしも一致するわけではなく、「人間の生活が豊かになる」=「幸せに生きる」ではないのは、誰もが知るところです。

そして「幸せに生きる」ためのファクターは、人によって異なりますよね。資本主義が大多数の人間の生活を物質的に豊かにすることは間違いのないことです。ただ、それが幸せに繋がるかどうかは人によるんですね。

とにもかくにも、こうした対立する(完全対立でもMECEでもないですが)2つの概念にはそれぞれ異なる目的があるということ、そして働く上では自分が重視したい性質を選ぶ、ということを指摘したいと思います。

次に、話を戻して、宗教っぽい会社について考えたいとおもいます。

「宗教っぽい会社」ってどんな会社?

どの会社にとっても重要なことは、価値体系を共有すること。これは組織である以上は重要なことでしょう。

ただ、宗教っぽいと言われる会社の場合は、その価値体系が1人のカリスマ経営者によって支えられていることが多いかと思われます。まるで教祖のように。

組織としては、経営者の考えに共感する人を集め、社員同士がお互いに自己承認欲求を満たし合う組織にすることで、一般的に働く価値に見合わない待遇でも働く環境をつくっている。

これが、外野からみて「ブラックだ」「宗教くさい」ということに繋がるわけです。

宗教っぽい会社に合う人、合わない人

それでも、「宗教っぽい会社」で幸せそうに働いている人はたくさんいます。その傍ら、選考段階で「この会社は合わない、無理」という人もいます。この違いはどこで生まれるのでしょうか。そして、向き不向きはどこで判断できるのでしょうか。

働いた経験がないので、学生としての実感から言いますと、「自己承認欲求が極端に大きい」かつ「人に影響されやすい」人の場合、そういった価値体系の組織が向いていると思います。中には例外の人もいますが、大方はこの分類でイケるはずです。

それでは、まとめます

まとめー

・「宗教っぽい」会社とは、ある価値基準を作り、今までにない価値を創出することにより、本来0またはマイナスであるものに価値をつけ、対価として労働や資本を提供させる会社のこと

・幸せの基準なんて人それぞれで、宗教っぽい会社の方が幸せだって人もいる

・「宗教っぽい会社」には自己承認欲求の強い人が向いている。

・「数字では表すことのできない」つまり人に押し付けづらい価値観は宗教っぽい会社特有のものである

余談ー

ここまで考えてきて、宗教っぽいとはつまり、そこにネガティブさがあるかどうか、というだけの話なのかもしれないと思いました。

資本主義的な、そして現代の一般的な価値基準から考えて、そこに搾取であるとか洗脳であるという感覚が生まれたとき、宗教っぽいという評価になるわけです。

しかしながら、この感覚って相対的なもの。就活生全員がおそらくは何らかの価値観に染まっている(=洗脳されている)ということは紛れもない事実です。洗脳なくして人は生きられませんから。フラットな意味でね。

そう考えると、意外と「宗教っぽい」会社からも学ぶことがたくさんあるのかも知れません。

最後の方駆け足になりましたが、どうか就活生には納得のいく決断をしてもらいたいと思います。

そんだけ。